小津安二郎監督のゆかりの場所へ行ってみませんか?

勝手に映画紹介

映画『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』などで有名なドイツの映画監督、
ヴィム・ヴェンダース監督に、『東京画』(とうきょうが)という小津安二郎監督が描き続けた東京という街を探訪したドキュメンタリー映画を作らせるほどに愛されている日本の映画監督、小津安二郎さん。

その小津安二郎監督が、実際にどんな場所で創作されていたか、
その創作、ゆかりの場所を調べてみ他のでシェアさせて頂きます♪ヨーイ!スタート!!

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小津安二郎監督生誕の場所「清澄白河」から「門前仲町」

私自身、小津安二郎監督の創作の源にとても興味があり、生誕の場所、深川を探索して来ました。
小津安二郎監督の生誕の地は、清澄白河駅近くの歩道橋の下には碑が立っていて見つけやすいです。

大江戸線と半蔵門線の止まる清澄白河駅から清澄通りをまっすぐ門前仲町方面に歩いて行くと記念碑があります。住所は東京都江東区深川1丁目8−8。記念碑はこちら↓

生誕の地から門前仲町を越えて歩いて行くと、(15分ほど歩きます)住宅街にある古石場川にかかる小津橋は、小津与右衛門家(江戸時代から続く商家)の土地の荷物の運搬のために小津家がかけた橋とのこと。

橋に名前が記載されているのですぐ分かります↓

小津橋の近くには小津安二郎監督の資料が展示されている「古石場文化センター」もあります。

古石場文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

小津安二郎監督が缶詰で脚本を書かれた茅ヶ崎にある宿「茅ヶ崎館」

JR茅ヶ崎駅の近く、小津安二郎監督の定宿として知られる「茅ヶ崎館」があります。
「父ありき」などの脚本をこちら数ヶ月滞在されて書かれたようです。

小津安二郎監督がこの茅ヶ崎で脚本を書かれる事になった背景としては、1936年(昭和11年)に松竹が東京市蒲田区(今の東京都大田区)の蒲田撮影所から神奈川県鎌倉郡大船町(後に鎌倉市に編入した地)に移転し、それに伴い映画関係者や俳優さんがこのあたりに移り住んだようです。

「茅ヶ崎館」さんについて書かれた茅ヶ崎市のHPによると、
中二階の角部屋「二番」のお部屋に小津安二郎監督は秋から翌年の春まで数ヶ月宿泊されて脚本を書かれていたようです。いろんなエピソードがありそうですね。

【茅ヶ崎館】〒253-0055 神奈川県茅ヶ崎市中海岸3-8-5 TEL 0467-82-2003 

映画「父ありき」はDVDなどの他、Amazonプライムビデオでもご覧になれます↓


父ありき

【関連書籍】


小津安二郎と茅ケ崎館

こちらの「茅ヶ崎館」、昨今では是枝裕和監督も好んで利用されているようです。(その様子は海南友子監督のドキュメンタリー映画『ア・ストーリー・オン・ザ・ショア~是枝裕和 ある夏、海街で~』でご覧になれます↓)

映画『ア・ストーリー・オン・ザ・ショア~是枝裕和 ある夏、海街で~』公式サイト
カンヌ、沖縄、茅ケ崎。3つの海辺の街で映画監督・是枝裕和のある夏を追った 短編ドキュメンタリー。好評配信中! 監督:海南友子/出演:是枝裕和ほか

※海南友子監督作、映画『ア・ストーリー・オン・ザ・ショア~是枝裕和 ある夏、海街で~』はAmazonプライムビデオで配信されています↓


ア・ストーリー・オン・ザ・ショア ~是枝裕和 ある夏、海街で~

晩年最後の作品までを過ごした小津安二郎記念館「無藝荘(むげいそう)」

 小津安二郎さんが晩年昭和30年頃から別荘として利用していた茅葺き屋根の「無藝荘」

こちらは小津安二郎さん生誕100年を記念し移築されたようです。こちらに来たきっかけは、昭和29年(1954年)の8月に蓼科にあった脚本家野田高悟さんの別荘「雲呼荘」に訪れた事。そこが気に入られたのか、雲呼荘近くにある片倉製糸の別荘を借り「無藝荘」と名づけ、昭和31年(1956年)に小津安二郎さんは仕事場を茅ケ崎から蓼科(長野県茅野市)の「無藝荘」に移り住み、晩年6作品のシナリオをこちらで書かれたとのこと。

現在、「無藝荘」は蓼科観光協会さんが管理されている建物で、11月中旬 ~ 4月中旬の間は閉館。使用希望者は蓼科観光案内所に申込みが必要です。小津安二郎さん生誕120年である2023年はいろんなイベントが開催されるようです!当時この地で書かれた映画を観ながら、探索してみるのも楽しそうですね。

【無藝荘】391-0301 長野県茅野市北山4035−1008

【開館日など詳しくはこちら↓】※蓼科観光協会さんのサイトに飛びます。

蓼科 無藝荘(むげいそう)  | 蓼科観光協会 公式サイト
このサイトは、長野県 蓼科観光協会のオフィシャルサイトです。無藝荘(むげいそう) は、小津安二郎が昭和30年頃から蓼科の別荘として利用していたかや葺き屋根の建物です。建物はとてもアンティークに和を感じることができます。

晩年の作品は、1957年『東京暮色』、1958年初のカラー作品『彼岸花』、1959年『お早よう』『浮草』(※元は『大根役者』というタイトルだった。)、1960年『秋日和』、1961年『小早川家の秋』と続き、1962年 最後の監督作品『秋刀魚の味』となります。

『彼岸花』『浮草』『小早川家の秋』はAmazonプライムビデオで現在(2023年8月現在)ご覧になることができます↓

『東京暮色』『彼岸花』『お早よう』『浮草』『秋日和』『小早川家の秋』『秋刀魚の味』、そしてヴィム・ヴェンダース監督『東京画』はU-NEXTで現在(2023年8月現在)ご覧になることができます↓

120年前に産まれた小津安二郎監督の作品、今を生きる私達にも心に響くものがあり、小津安二郎監督がどんな場所で何を感じていたのか想像する旅もまた、小津安二郎監督の視点を通して自分自身を振り返る良い機会になりそうですね。

過去作も気になる場合はこちらも併せてご覧下さい↓

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本ページの情報は2023年8月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて
ご確認ください。
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